作品データ
タイトル:心のカルテ
原題:To the Bone
製作年:2017年
製作国:アメリカ
ジャンル:ドラマ/ヒューマンドラマ
上映時間:107分
配信開始:2017年7月14日(Netflix)
監督:マーティ・ノクソン
脚本:マーティ・ノクソン
撮影:リチャード・ウォン
音楽:フィル・アイズラー
製作会社:モッキンバード・ピクチャーズ ほか
R18+
あらすじ
摂食障害を抱える20歳の女性エレンは、これまで何度も治療を受けてきたものの、なかなか回復への道を見つけられずにいた。そんな彼女が、風変わりな医師ウィリアム・ベッカムのもとで共同生活型の治療を始めることになる。
そこで出会ったのは、それぞれに悩みを抱えながら治療に向き合う仲間たち。エレンは彼らとの交流を通して、自分の心や家族との関係、そして「生きること」と向き合っていく。
果たしてエレンは、自分自身を受け入れ、回復への一歩を踏み出すことができるのか――。
未鑑賞の方へ
この記事には、作品についての感想や、物語の展開・結末に触れています。
「まだ観てないけど、内容は知りたくない!」という方は、
ぜひ先に映画を楽しんでくださいね。
ここから本編
今をときめくリリー・コリンズちゃん主演の「心のカルテ」です。tottyはお父様のときめく時代のMVにハマっていた世代です(笑)うふ。
美しいリリーちゃんが身体を張った、かつ非常にセンシティブな内容となっているため、万人にオススメ出来る作品ではありません。しかし、センシティブであるからこそ、心の構造とメカニズムを知ることで発見のある作品であるとも言えます。
監督・脚本のマーティ・ノクソン自身の経験も背景にある作品で、摂食障害をテーマに、主人公エレンが治療施設で仲間たちと過ごしながら自分自身と向き合っていく物語です。
この摂食障害は今現在も、非常に多くの人々が苦しんでおり、その数は年々増加傾向にあるとのことです。年齢も性別も問わず、世界規模での深刻な課題となっています。
また、すべての精神疾患の中でも致死率の高い病気の一つとしても知られている事と、また依存症との共通点の多い構造を持っています。
「痩せる行為」そのものが、『苦痛』を和らげる麻薬になること(プロセス依存)。そして、自分では止められないこと(コントロールの障害)。回復の難しさ、など。
この作品では、摂食障害のリアルな症状と、心理的背景を多角的に描いています。
カロリーの異常な数値化。即座にカロリー計算を行い、体内に食べ物を入れることへの激しい恐怖心と抵抗。そして、消費カロリーを増やすための過度な運動。
グループホームの同居人たちの中には、食べた後に嘔吐する者、チューブで栄養補給を受ける者、過食と嘔吐を繰り返す者….など様々な症状が描かれています。
人間が生物として生きていくために不可欠な「三大欲求」の一つである『食欲』は、マズローの「欲求段階説」でいう最下層の【生理的欲求】に位置づけられています。まず、ここが満たされないと、より高次の欲求(安全・所属・承認・そして自己実現)が安定しにくい、と言われています。どれ1つ欠けても、生命の維持と種の保存に直結するからだ。
さて今回も、安定のカッコよさをいつも見せつけてくださる、キアヌ・リーブス演じる、ベック医師。彼の治療のアプローチは、一般的な病院で行われる対症療法ではなく、摂食障害の本質を「心と現実の葛藤」として捉え、独自のアプローチを取っています。
摂食障害の治療においてきわめて重要な意味がありそうだ、と思いました。それはエレン個人の問題ではなく「家族」というシステム全体の問題であるという、本質を突き詰め、エレンがどんな心理的環境・ストレスの中で生きざるを得なかったのかを、その場で可視化します。
そうすることで、問題の責任をエレン1人から家族全員へ戻したのです。そのやりとりをあえてエレンに見せることで、いかに自分が「他人の都合や感情に振り回されてきたか」「この混乱から抜け出すには、自分が自分の人生の主導権を握るしかない」と気づかせようとしているようだ。
名前をエレンから『イーライ』へ変更する提案もありましたね。再生への過程において、非常に興味深いと思いました。男性にも女性にも対応できる響きです。それを受け入れたときの彼女の嬉しそうな表情。そう、もう根本からの再生が必要だったのですね。
元ダンサーのルークとレストランに行ったシーンは、とても印象深いです。「二人の関係性の変化」と「摂食障害のリアルでショッキングな歪み」が同時に描かれる場面です。
一見すると若者らしい、甘酸っぱい普通のデートのような解放感に包まれていました。しかしそこで行われていたのは「チューニング」でした。食べ物を咀嚼して吐き出す行為。料理を口に入れて味や食感を楽しむものの、カロリーを体内に吸収させる(飲み込む)ことを拒絶するため、紙ナプキンへ吐き出します。
わずかな期待を持った私は、一瞬「エレンが食べるのではないか」と期待しただけに、なかなかショッキングでしたね。
しかし、病気を共有できる安心感を持つ関係性はありました。一般的な場所では、絶対に隠さなければならないこの行為を、同じ病気を理解しているルークの前でだけは、隠すことなく行いました。
関係性が少し変わった瞬間ですね。変わったがゆえにルークの心理とズレも表現されています。症状の度合いや心の葛藤のステップが異なるため、相手にとっては非常に大きな心理的攻撃やストレスになってしまいます。
同じ摂食障害でも、発現元が違うからだろうか?とも考えた部分です。
彼にとってダンサーへの復帰は、生き甲斐そのものであったことから、エレンを励ますことが心の支えでありましたが、更に膝を痛めたことから「ダンサーとしての完全な絶望」を突きつけられました。
希望を失ったルークはエレンに依存した感情をぶつけます。この二人の感情の辛さはtottyはかなりシンドい描写でしたね。
ルークの膝のさらなる悪化は彼自身の悲劇であると同時に『他人を救うことで、自分の病気から目を背けた』ルークの限界であり、『他人に依存されることで追い詰められた』エレンの限界を露呈させる重要な出来事でした。
ベック医師は、誰かに心を開き、愛したり頼ったりする体験が原動力となることを考えていると同時に、甘えや逃避を見抜き、1人の大人として扱います。「人生は公平ではないし、傷つくこともある。それでも生きていくしかない」こと。患者を病気というラベルではなく、意志を持つ存在として尊重しているからこそ、突き放すような強い言葉も使います。
ベック医師のアプローチは、摂食障害という病気の本質が、食事の問題ではなく、生き方の問題である、という強いメッセージを投げかけています。
そして、彼女が「どん底(死)」から「生」へと足を踏み出すための、最大の原動力となった、決定的な転機は『母』であった。
『ただ存在するだけで愛される』という無条件の愛の受容、である。「もう死んでも責めない(あなたがどんな選択をしても愛している)」という極限の言葉とともに抱きしめたことで、それを肌で感じることが出来ました。
ベック医師の言葉どおり、食事や栄養を拒んでいたのは、身体ではなく「心」でした。『心の栄養』が体に届いた瞬間ですね。
あわや命の限界ギリギリの所を彷徨っていたエレンは、その栄養を受け入れることが出来たことで、他者の気持ちにも少しずつ気が付くことが出来てきます。また、自身の病気を受け入れるスタート地点であるグループホーム「Threshold」へ戻ることを『自分』で決めます。
Thresholdには、「境界線」「転換点」といった意味があります。ここで彼らは病気の苦しみから抜け出し、新しい人生へと踏み出すための、まさに境界を学び、転換を促す相互作用をそれぞれが体験するのです。
「映画のようにはいかないよ!」…..そんな声が聞こえてきます。
そう、まさに『心のカルテ』ですから。この病気を発症するのは千差万別であることと、今、私たちも何かのきっかけで罹患することもあるのですから。
それぞれがそれぞれに精神的自立を確立して、それを逃げずに誤魔化さずにただ『見据える』。これがどれだけ困難な事か計り知れません。でもこの「心の栄養」は親からだけ受けるものではありません。だから人間は他者とか変わっていくのです。
tottyはこれを潜在意識からの、脳(思考)のバグの悪化とも考えました。専門家ではありませんから、私が感じた心の在り方です。この『見据える』という行為が、現実を認識して、顕在意識に上げてくる、というプロセスではないだろうか。
「受け入れる」ことでも「受け止める」ことともニュアンスが違います。この作品では、『生きることを心から望み、生きる恐怖に向き合うこと』が回復への一歩であると表現しています。つまり根本は「自分でしか治せない」のです。
人間が人間であるがゆえ、非常にセンシティブで、実に困難な病です。
これが常識、これが普通、あれは異常という偏見。他者への想像力の欠如。よくあること。そんな事がよくある摩訶不思議な世界で生きているからこそ、私は決してそうならない、と「決めた」自分で在りたいのだ。
今回は、かなり重いテーマではありましたが、いかがでしたでしょうか。
書くことにより、totty自身もとても考えが深まった貴重な作品でした。機会があれば今度は、輝やかんばかりの眩しすぎるリリーちゃんの作品をチョイスしようかな!
では、またね!

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