関心領域

作品データ

タイトル
関心領域

原題
The Zone of Interest

製作年
2023年

日本公開
2024年5月24日

上映時間
105分

製作国
アメリカ・イギリス・ポーランド

監督・脚本
ジョナサン・グレイザー

原作
マーティン・エイミス『関心領域』

撮影監督
ウカシュ・ジャル

音楽
ミカ・レヴィ

配給
ハピネットファントム・スタジオ

映倫区分
G

あらすじ

第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ強制収容所のすぐ隣に暮らす、収容所所長ルドルフ・ヘスとその家族。広い庭のある家で、妻や子どもたちと何気ない日常を送る一方、壁の向こうではユダヤ人たちが収容され、命を奪われていた。

映画は、その残酷な出来事を直接見せるのではなく、家族の日常と、壁の向こうから聞こえてくる音や気配を通して描いていく。「普通の暮らし」のすぐ隣で起きている恐ろしい現実。その異常さを、淡々と浮かび上がらせる作品。

未鑑賞の方へ

この記事には、作品についての感想や、物語の展開・結末に触れています。

「まだ観てないけど、内容は知りたくない!」という方は、

ぜひ先に映画を楽しんでくださいね。

ここから本編

第二次世界大戦を題材に、ナチス政権および、加害国、被害国ともに、世界各国からの視点のアプローチ作品が数多くあります。

  • ドイツ    ヒトラー〜最期の日々〜
  • ソ連     スターリングラード
  • ポーランド  戦場のピアニスト
  • フランス   さよなら子供たち
  • イタリア   ライフ・イズ・ビューティフル
  • オランダ   ブラックブック
  • アメリカ   シンドラーのリスト
  • 日本     杉原千畝

有名な作品をざっと少し挙げましたが、ここには書ききれないほどに、このテーマは後世にとっても非常に重要であり、「負の財産」なのですね。こと『ホロコースト』の異常性は別格です。

だからこそ様々な国で取り上げている題材であり、「人間が人間であること」への深いテーマが繰り返し各々の視点から表現されています。

そして今回ご紹介する「関心領域」。今までのナチス親衛隊(SS)を描いた内容とは、切り口がまったく違う立ち位置からの視点であること、そして直接的な悲惨で残忍な描写は一切ありません。それでありながら、私たちの最も深い所に爪痕を残す内容となっています。

注視するポイントは多々ありましたので、ぜひお付き合い下さい!

この作品の特徴として、視覚的には「壁のこちら側の平和な日常」だけを見せつつ、『音』だけで「壁の向こう側の悲惨な地獄」を観客の脳内に再現させていること。単なる効果音ではなく、視覚と聴覚に別々の作用を作り出します。tottyは、いつものぼっち劇場鑑賞してしまい、めちゃくちゃ怖かった。

見せないことで、より恐ろしく想像させます。重低音が24時間、休みなく「稼働している」。モーター音や煙突の振動音。

庭で家族が楽しく過ごしている壁の向こう側からは、銃声や、怒鳴り声や悲鳴。それらが聞こえる異様な「音」に対して、彼らは一切のリアクションをしません。人物が音を「無視する」ことの不気味さとでも言いましょうか。

彼らにとって、これらの凄惨な音はただの環境音と化しています。音が常にあることで、それを完全にスルーして笑い合う、ヘス一家の「聴覚の麻痺」と「徹底的な無関心」が私たちに異様な恐怖として伝わります。

どんだけ『関心の領域』が狭いのよ!!と当然、思わずにはいられませんよね。さぁ、心理の紐解きです。

塀のすぐ隣にある邸宅で暮らすは、ヘス夫妻と子供たち。夫は収容所のトップであり、効率的な大量殺戮システムを構築したSSの中佐。その妻であるへドヴィヒは、このアウシュヴィッツの地に、彼女の「夢にまで見た理想の生活」を築き上げていた。

幹部である夫ルドルフは、典型的な「忠実で事務的な官僚」。家族にとっても、様々な恩恵が降り注いでいました。官僚の妻ですから「アウシュヴィッツの女王」と自称するがごとく、理想の楽園を作り上げます。

収容所から連れて来られた収容者(ソンダーコマンド)が、重い荷物を搬入したり、庭の粗仕事をしています。また、地元ポーランド使用人については、当時の占領下ポーランドにおいて、実質「拒否できない強制的な雇用関係」だったと言えます。

家の中の奴隷のような立ち位置となりますから、常に息を潜め、ヘス夫妻と目を合わせないように、黙々と作業しています。なので命の保証がないまま、絶対的な恐怖で支配されていたということです。

ではヘドヴィヒが、特別の価値観を持っていたのか?…..実はそうでもないようです。

ナチス体制化の「エリート幹部の家庭」では、典型的なものでした。ナチスは「子供・台所・教会」という標語で、女性を家庭内の役割に位置づけています。夫を支える妻であり、国家にとって望ましい子供を産み、ナチスの価値観に沿って育てる母として「模範的な家庭」を維持することを期待されています。

夫の出世=家族の安全と繁栄は、単に給料が上がること以上に「広大な敷地(生存圏)、大勢の使用人、贅沢な物資」を手に入れる事を意味します。

そうすると彼女達は、「私たちが手に入れた権利」という、へドヴィヒのように「夫が国家のために仕事をしているのだから、その対価として私たちが優雅で豊かな暮らしを享受するのは当然の権利だ」という、非常に歪んだ「特権意識と強欲さ」という思考回路となります。

まぁ、まぁ、、バグり方が半端ないけど。いつの時代も…?…おっとっと(笑)

夫は公務(虐殺)を機械的にこなし、妻は家庭でその恩恵を貪る。こうした「仕事と家庭の完全な切り離し」と「歪んだ共犯関係」はナチスの上流階級では非常にありふれた事だったようです。

夫ヘスは「国家への義務」を最優先に、家族との時間も大切にし、衛生観念と秩序を重んじる人間として描かれています。実際はどうでしょうか?

子供たちとのどかな川遊び。川底で人骨を発見した瞬間、顔色を変えて即座に川から上げさせます。家に戻ると、まるで毒物にでも触れたかのように、子供たちを徹底的に、目や口まで洗浄させます。

自分の仕事の結果として川に流れてきた人間の骨や灰であるにも関わらず、それが自分や家族に『付着した』ことに対しては、耐え難いほどの嫌悪感を抱くのです。倫理的な「善悪」が完全に麻痺しているため、「清潔か不潔か」という極端に歪んだ基準にすり替わっていることが分かります。

また、女性(おそらく連れてこられた収容者)と性的な関係を持ったあと、自分の性器を執拗に洗います。「そうした欲求を抱いて汚れてしまった自分自身」に対して、強い衛生的な不潔感を抱いたか。

あるいはナチス特有の優生思想も色濃く反映されたかも知れません。ユダヤ人や「下等」とみなした人々との性的接触は、「血統の汚損」として厳しく禁じられていた事ですから、相手の女性は「人」ではなく、「不潔で汚染された存在」なのです。

欲望に負けて関係を持った直後、彼は猛烈な不快感と「汚染された」という恐怖に襲われます。自分の行っている大量殺戮には、何の罪悪感も抱かない一方で、自分の身体が「汚れる」ことには耐えられないという、歪みきった感覚と人間性の欠如を描写したのは、極めて象徴的です。

そしてお次は、この作品で強烈な印象を打ち付けた、白黒を反転させた映像です!どっかで見たことあるなぁ〜?と思ったtottyは調べたんです。赤外線サーモグラフィーカメラでしたわ!いやいやいや….実に強烈ですよね。そう、音も相まって(泣)

ただこのシーンは、背景を知らないと少し解りにくい所でしたね。彼女は実在した14歳のポーランド人をモデルとなっています。彼女は実生活でもポーランドの抵抗運動(レジスタンス)に身を投じ、夜中に危険を冒して収容所の作業現場へ行き、お腹をすかせた収容者のために食べ物を置いて去っていました。

分かりにくかったですが、ヘス一家とは別の、近くの民家ということです。そこから夜の闇を自転車に乗って出向き、果物を隠して回っていたということです。

『漆黒の闇の中にある唯一の光』の表現として。ヘス一家が象徴する「無関心と日常に潜む悪」という冷酷な世界に対し、リスクを冒して他者を助けようとする少女の存在は「唯一の人間性・善意」です。

これを通常のカラー映像ではなく、熱を帯びた光(サーモグラフィー)として浮かび上がらせているんですから!凄いよね〜!表の日常と裏の抵抗を見事に対比させています。

劇中で少女役の俳優が乗っている自転車や着ている服は、モデルのアレクサンドラさん本人が当時実際に使っていたもので撮影されたそうです。

ヘス夫妻が「死者の遺品(毛皮や服)」を横領して、贅沢に使っていたのに対して、少女のシーンでは「誰かを救おうとした本物の遺品」が使われているという点でも深い対比となっています。

そしてもう1人。へドヴィヒの母親が訪ねて来ます。当初、娘が手に入れた大きな邸宅や、美しい庭園、大勢の使用人を連れている様子を見て、心から誇らしく思い、喜んでいました。

しかし、彼女は夜を越すうちに、その場所の「異常さ」と「凄惨な現実」に気づき、その恐ろしさと不快感から逃れるために、夜な夜なお酒を飲んで現実から目を背けます。そしてとうとう耐えきれなくなって黙って逃げ出してしまいます。

劇中では直接描かれていませんが、何と言ってもアウシュヴィッツの側ですからね。四六時中「人間が焼かれる臭い」は立ち込めているでしょうし、庭の植物や洗濯物には灰も降り注ぐでしょう。実際、植物の土に撒かれていますしね。

娘たちの「感覚の麻痺」に対する恐ろしさと、娘の冷淡さ。母親は、壁の向こうで行われている惨劇そのものは勿論、その地獄のすぐ隣で、何事もないように笑って暮らす実の娘の恐ろしいほどの無感覚・異常さを悟り、結果として手紙1枚残して去っていきました。

外部からやってきた母親という「まだまともな人間の感覚を持った存在」を配置することで、この楽園がいかに異常で不気味な場所であるか、を強烈に浮き彫りにしています。

さて、昇進・異動命令が出され、家族全員で引っ越すものと思っていたヘスですが。(そりゃ、そうゆうもんでしょ〜)

ナチスの凄惨な任務に対しては絶対服従の冷酷なヘスですが、妻の強烈な執着には押される形となり、1人寂しく単身赴任することに。

現地から、妻に電話をかけているところも、tottyは二人の会話にも違和感がありました。でも、それなりに成り立っている。あぁ、この妻はこの後、夫がどんな運命になっても夫ではなく『夫の役割』だけが重要であるから、後は自身のエゴが苦しむだけなんだろうな、と。

そうしてクライマックスです。パーティーで大勢のナチス高官たちが浮かれている中、彼は『この広い会場にいる人間全員を、毒ガスで効率よく殺すにはどうすればいいか』という冷酷な計画を頭の中で考えています。

彼の吐き気は、様々な解釈が出来そうな深い演出です。単に「酒の飲みすぎ」「体調不良」ではなく、彼の内面と映画のテーマが交差しそうです。

その極限まで冷酷に麻痺させた思考と、彼の中に残っていたわずかな「人間の生体としての本能」が激しく衝突し、身体が拒絶反応として激しい吐き気を起こした….。肉体は自分たちが行っている狂気に耐えきれず、悲鳴をあげていた。

ヘスが暗い階段で吐き気と闘いながら、闇の奥を凝視するシーンがあります。その直後、映画は突然「現代のアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所博物館」の映像へと切り替わります!何という演出でしょう!

現代の清掃員たちが、ガス室や大量の遺品が展示されたガラスケースを淡々と掃除している日常の光景です。

ヘスが暗闇の中に見つめていたものは…..?「自分が作り上げてた殺戮システムが、将来どのように歴史に記憶され、どのような悲惨な結果を残すか」

自分が「偉大な功績」だと思ってやってきた仕事が、未来では悲惨なホロコーストの遺物として、展示され、淡々と掃除されている現実….。

ヘスが何度か激しくえづいた後、何も吐き出すことが出来ず、再び静かに暗闇の階段を降りていく…。こちらの演出も、もはや、もはや….。

ここで吐ききったら「人間の良心の回復」を意味したかも知れません。しかし、ヘスは自分の身体が発した拒絶反応(吐き気)すらもグッと抑え込み、何事もなかったかのように再び冷酷な状態に戻って、暗闇に戻っていきます。

身体がどれほど悲鳴を上げようとも、人間性を殺して命令に従い続ける。すなわち「今、自分がやること」「悪の凡庸さ」の完遂を描いているのではないでしょうか。

どれだけ頭で正当化しても、肉体は殺戮の毒に冒されている、という身体からの告発であり、罪悪感すら押し殺して歴史の暗闇へ歩みを進めてしまう、ヘスという男の恐ろしさを表現した、秀逸なラスト演出だと感じました。

戦後のニュルンベルク裁判や、1961年のアイヒマン裁判などを通じて、世界が衝撃を受けたのは、大量殺戮を指揮・実行していた男たちが「恐ろしい悪魔」ではなく「どこにでもいる平凡で退屈な小市民」だったという事実。

そして『思考すること』やめた人々。この『関心領域』が突きつけている恐怖の根底には、「思考停止した普通の人々」です。

異常な時代や環境の中に置かれた時、人は「深く考えず、ただ自分の仕事や目の前の生活だけに集中する」ことで、誰もが知らず知らずのうちに悪の歯車になってしまう可能性がある。ーーこの歴史の教訓が「何者でもなかった人たち」の姿を通して描かれていました。

はい。実に重いテーマではありましたが。皆さま、いかがでしたでしょうか。

ナチス関連の作品の中でも、異色を放つ内容でした。もう1回観たいか…?と言われたら?しばらくお腹いっぱいですが(笑)ご要望があればオススメしようではないか。な作品ではあります。

『自分で考えて自分で決める事ができる』重要性と、色々な人がいて、色々な考え方があっていいのだ。人が人を支配なんてしては絶対にいけないのだ。

そんなこんなでtottyもこうして自由に書きたいことを書いている。そんな時代に私たちは生きている事に感謝です。では、またね!

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