君たちはどう生きるか

作品データ

・タイトル:君たちはどう生きるか

・英題:The Boy and the Heron

・製作年:2023年

・製作国:日本

・公開日:2023年7月14日

・上映時間:124分

・監督:宮﨑駿

・原作・脚本:宮﨑駿

・音楽:久石譲

・主題歌:米津玄師「地球儀」

・制作:スタジオジブリ

・配給:東宝

・G

あらすじ

母を火事で亡くした少年・眞人は、父とともに田舎へ移り住む。新しい生活の中で、謎めいた青サギに導かれ、不思議な塔へと足を踏み入れる。

そこは、生と死が入り混じる不思議な世界。眞人はさまざまな出会いと冒険を通して、自分自身と向き合っていく。

未鑑賞の方へ

この記事には、作品についての感想や、物語の展開・結末に触れています。

「まだ観てないけど、内容は知りたくない!」という方は、

ぜひ先に映画を楽しんでくださいね。

ここから本編

初見で鑑賞した時、かなり感動しました。私の暫定1位だった「もののけ姫」を抜いたか?!と。

確かに「君たちはどう生きるか」の世界観は少し特殊だなという印象はありました。正解なんて分からないけど。ただ、天才宮崎駿は、私たち凡人に解けない問いを出すだろうか?

なのでこの作品を選ぶことに躊躇したのも事実だけど、私なりに難解を軟解してみたい!って、そう思ったの。

丁寧に紐解けたらと思います。ぜひ、お付き合い下さい!

作品の時代が戦争時代ということと、大人の事情と少年の多感な気持ちと….様々入り組んでいるように見えます。

冒頭、勝一が「母さんの病院が火事だ!」と。そして、焼け落ちる病院。病気で入院していたのか、または病院に勤めていたのか?わからないままに…???

そして「戦争の3年目に母さんが死んだ」と。不思議ですよね。その間の描写がないままに。

「4年目に僕は父と東京を離れた」そしてタイトルが全面に『君たちはどう生きるか』…戦争の物語と思いきや、一気に雰囲気も変わります。

ここからは「大人の事情」も垣間見れます。なんとも艶っぽい夏子さんが出迎えてくれます。勝一さんよ、なぜに眞人の母の妹を妻に迎え、眞人の継母に据え置いたのか。そして弟もお腹の中にいる、という仕込みよう!

まぁ、、、色々あるわよね、、なんて。とりあえず自称大人の私は思うわけですが(笑)多感な少年少女な時期には、爪痕が残る案件だ。まして眞人のように『いいコ』はね。

時代背景からそのような順縁婚(ソロレート婚)は見かけられたとのことですが。それはわからない。

夏子さんを「嫌い」なわけでは、ない。母さんが恋しいから、思い出すから、いないことへの葛藤。だから夏子さんのことを「父さんが好きな人だ」と一線を引いている。そりゃ、そうですよ。はい、そうですか。とはいかないよね。

夏子さんの家はトンデモないお屋敷で、かつては母も生まれ育っている。とても歴史のある家柄だ。そこに眞人親子が移住するところから物語が動き出す。

青サギが眞人を見ている。7人の小人ならぬ、7人のおばぁちゃま達。そして空から落ちてきたという謎の塔。大伯父の血筋を引いている眞人の感性。当然それは、夏子も母さん(ヒミ)もだ。

眞人の頑なな気持ちを逆撫でするように、青サギは彼の心を揺さぶり、または相棒となり、さらにもっと深くへと誘導する。「君はどうしたい?」「君はどう在りたい?」そして「君はどう生きたい?」と。そこへたどり着く道への『案内人』となるわけだ。

ファンタジーのように表現されているが(こうゆうのが本当に天才的)全て眞人の現実であり、心の在り方。「自己内観」の世界である。『人は自分の見たい世界を、見る。』すでに伏線はあらゆるところに散りばめられている。

初めに導かれたのは夏子だ。大切な姉の息子である眞人への想いを持つあまりに、怪我をさせてしまったという深い『罪悪感』。そして自分は、眞人に嫌われているという『思い込み』。心の奥深くにある、絶対に知られたくない気持ちを抱えて…..

これが夏子の「見て」いる世界だ。そして塔(心)の深く深くへ、誰も近づけない世界へ入っていく。

これは、我々でも生きていればよくある現象である。その時の「思考に引きずられた」=「心の在り方」が現象を反映させるのです。そして眞人は、夏子を助けに、迎えに行くのです。塔への好奇心も相まって…

それを嫌がり、引き止めるキリコばぁちゃん。これが第一のホメオスタシスの、「自己防衛反応」である。人間にはあらゆる苦悩や災難を回避したいという、誰しもが持つ無意識の「現状維持バイアス」という能力があります。それがきちんと発動することで、生命の維持にも直結するからです。

どんな些細な事でも、未経験の事をするときには「好奇心」と「不安、恐怖心」が入り混じるものです。この「不安、恐怖」がホメオスタシス=キリコばぁちゃんなのです。しかし、彼らは敵ではありませんから、本人が決めた事には寄り添い、支え続けます。どんな選択をしたとしても。

そしてこの優れた機能ホメオスタシスは、とてもとても強力なため様々なキャラクターとして物語に登場します。それを乗り越えるには『勇気』というボーダーラインがあります。ここをひとつひとつ越えながら眞人は、自分の「在り方」を認識していくのです。

もはや、もはやな宮崎監督ですよ。

最初に眞人がたどり着いた世界は、何も育ままない「死の海」。何でも貪るペリカンは、全てを食い尽くした挙句、ワラワラを食べる。非常に興味深い展開に仕上げています。

キリコは姿を変えて、眞人を見守ります。キリコはそこで、ワラワラたちの世話をして、地上へ送り出すお役目だ。

このワラワラは「魂」というより『希望』と解釈した方が分かりやすそうです。この『希望』というものは、私たちの心の中に常に湧き続け地上に出ることを望んでいます。

ですが「ペリカン=自我」により食べられてしまいます。自我=固定概念、現実の考え方、欲求や感情を調整する心の働きである。ここは現実世界では認識出来ない、無意識の『心』の深い、深い、深層心理の世界なのです。

このままここに留まるということは、いずれ、自己を食い尽くした挙句、「依存心」となって他者へ向かうのだ。今風に表現すると「テイカー」と呼ばれる方達でしょうか。

そこでは、ヒミ(母)は『火』を使ってペリカンを追い払い、「希望」を少しでも絶やさずに送り出そうとしています。

「火=灯火」は、眞人の心の奥に確実にあることが確認でき、母から受けた深い「灯火=愛」は、眞人の潜在意識の中にはしっかりと刻み込まれているということだ。

たくさんのワラワラは、眞人の持つ希望であることから、対比として顔のない「死人」がその世界に留まって暮らしている描写がある。「希望」を自ら生み出せない人々は、その世界に留まることしか出来ないからだ。

何とも辛辣な描写でしょうか!ここが宮崎監督の愛ある厳しさとでも言える。

そして「愛」とは決して母から受けるものだけではない。あらゆるところに、ある。「見ようと思う」ことで。さらに「愛」は、受け取ることにも実は、強さとしなやかさが必要なのだ。

それがこの物語の眞人の冒険なのです。実にファンタスティックで繊細なんでしょう!

そんな中、眞人と青サギは協力し合いながら、冒険を続けます。インコ兵が占拠した鍛冶屋に来た二人。ここを通らないと、夏子の所に行かれないからだ。

  • ここを通る=ホメオスタシス 
  • インコ兵=権威、集団心理

「夏子を助けに行く」という強い気持ちが、再びヒミを出現させるのです。

そしてジブリ自慢のお食事タイム!パンを切る音、バターとジャムをたっぷりと!口いっぱい頬張る眞人のリアリティは、誰しもがパン屋に駆け込んだことでしょう(笑)

そしていよいよ夏子のいる塔の中まで、ヒミに連れて行ってもらいます。インコ兵がいたるところで見張っています。インコ兵、なんか普通に怖いですよね。

「気を付けて。ここでは私の力は制限される」ヒミは言っています。そうです、ここでは眞人自身の気持ちが軸になるからです。

そして、時の回廊へ。いわゆるここが、パラレルワールドの入り口領域なんだと思います。「帰りたければここから帰れる」とヒミは言います。どちらを選んでも不正解ではないからだ。

夏子を連れて帰るという強い気持ちが、父を目の前にしても眞人を前進させます。そしてドアから飛び出したインコ兵が、可愛いセキセイインコになるくだり…..また後で後述したいと思います。

更に塔の地下深くまで二人は入っていきます。壁の石までがビリビリと刺激してきます。「石は私たちが来たことを喜んでいない」これは心の中全体に広がる『緊張』を表していると思います。

産屋の中で横たわっている夏子に「一緒に帰ろう」と精一杯伝える眞人。夏子の頭上をひらひら回っているのは、紙垂(しで)のようなもので、「結界」を視覚的に表現していると思われます。

ここで初めて「夏子母さん」と呼びます。しかし、夏子は拒絶の言葉を叫ぶのと同時に、紙垂が激しく拒絶と攻撃を眞人に向けてきます。これが『禁忌』に触れた瞬間です。

そう。誰しもが自身の結界の中に籠もったり、誰にも知られてはいけない何かを抱えていますから。私たちは常に『夏子側』にも『眞人側』にも、なり得るということではないでしょうか。

気を失った眞人をかかえ、二人にとっての『火=灯火』であるヒミは妹である夏子にこちらに来るようにと、声をかける。なぜならここで夏子が声を聞かないと、戻って来れない深みまで入ってしまうからだ。

まだビリビリとしています。そして強い炎が最後の足掻きを放ちます。ここでも戻ることには強い『勇気』が必要になるから、一筋縄ではいきません。そしてこれは、現実世界でもよくあることで、大なり小なり、誰でも体験しているはずなのです。

気を失った眞人は『夢』=『無意識領域』で大伯父と対面します。

ここで少し『次元』についての私なりの受け止め方あります。信じてるとか信じてないとかではありませんが、とはいえ分からないこと、見えないこと=非現実とも思いきれない部分もあったりして。その方が楽しいし(笑)

物理学の視点や、SF、パラレルワールドの視点、スピリチュアルや意識の視点などで

  • 3次元:今の場所
  • 4次元:時間
  • 5次元:時空を越えた

などが、ざっくり。

今までの作品でも多かったはずなのに、なぜこの作品が解りにくいのか?と思ったんです。この物語は特に、この感覚が腑に落ちていると、分かりやすくなるのだと思います。

  • 他の作品は、自身→外部との関わり→自身に戻る
  • 「君たちはどう生きるか」は、徹底的に自身との向き合い

それだけ、人間の心の中というのは複雑、かつ健気なのである。そして「大伯父」の存在について。自分なりに考えても、悩ましい部分だったりして…

  • 大伯父=眞人の核。

非常に敏感かつ繊細であったため、悪意も冒険も拒絶し、自我(インコやペリカン)とも一定の距離感でバランスを取ってきた。

眞人に「悪意のない、綺麗な石で世界を作って欲しい」と。それは今まで通り、他者から一線を引き、自身が傷つかないように、血縁である眞人に、孤独に安全にこのまま生きていこうぜ、という「提案」である。

インコ大王も、ヒミも青サギも、眞人の出す答えによって、この安全な塔の在り方も変わってくることを知っている。

余談だが、この大伯父の声は火野正平さん。う〜ん♡セクシーだなぁ(笑)うふふ。

そして眞人の答えは自身の「悪意」の証明を示し、さらにそれをしっかりと自覚し、大伯父の提案を拒絶します。私はここに「人間臭さ」なる哀れな愛おしさを、受け入れようとする眞人の決意を感じました。

生きていれば時には、悪意だってわく。人と関われば、傷つくこともある。その感情を丸ごと受け止めて、自分に寄り添う。そして現実の世界で誰かと繋がり、友達を作って生きていくことを選ぶ。

悪意を持って自分を傷つけたことは、また別の人を傷つける事を理解した。そしてまたその悪意は、鋭く自分に返ってくることも。聡明で優しいいいコ、である。

そして時の回廊で、それぞれの時空へ帰る。

ヒミ「眞人のお母さんになるんだからな」
眞人「そしたら病院の火事で死んじゃうよ!」
ヒミ「火は平気だ。ステキじゃないか、眞人を産むなんて」
眞人「だめだ、ヒミは生きてなきゃ!」
ヒミ「お前っていいコだな」
ここで、、、??

死んでいない可能性が浮上した(笑)大人の事情、、、、、あり、、か?と。そうだったとしても、そうじゃなかったとしても。母は、間違いなく眞人を喜んで世に送り出したということ。

そしてドアを飛び出るとインコ兵、インコ大王はセキセイインコに(笑)みんなフンだらけにww

このインコは「思考停止」や「集団心理」、「権威」や「不安を煽る」など、生きるために欲望のままに、食らい、排泄する人々の象徴のようだ。

そんな奴らがピーピー言うことなんて、ちっぽけな事だぜ!と表現しているのでは!?

またペリカン=自我というのは暴走しなければ、広い世界に出て適切で良質な物を摂取することでエネルギーを満たすことが出来る、健全な「自我」だと思います。そう、『自我の確立』というやつです。

時の回廊の無数のドアは、私たちがその一瞬一瞬の「自分の在り方」が反映するので、どのドアを選ぶかで、未来は無限の可能性がありますよ。ということです。

『今』はすでに過去、とも取れます。その『今』が1分後、1日後、1年後…..の未来を作り出している。なので『今』は過去から作ってきた、とも言えて。ちょっとこんがらがりますが(笑)

自戒も含め、今を丁寧に、優しく、平和をチョイス出来るように。さぁ!『私たちはどう生きましょう!』決めるのは自分自身です!

tottyは、今日は『美味しいパンを食べる』ために『パン屋に行く』という未来を決行します!

長くなりましたが、非常に楽しく書くことが出来ました!楽しんでいただけたら、幸いです!

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